日本戦車についての質問&回答


8/5 日本戦車のバイブル「日本の戦車」の著者 竹内 昭氏とお会いしました。
皆様から預かった日本戦車についての質問をして来ました。


投稿者:新日本機甲  投稿日: 731()004614
むーさん:竹内先生樣には「日本のの戦車」1頁に付幾つも質問があるので書き切れません。そこで要望です。「日本の大砲」の精度で「新装版日本の戦車」を出版していただきたく思います。また「日本の戦車」の図版の元になったと思われる一次資料の出版もお願いしたいです。

回答
σ(^^)が代表して「完全版日本の戦車」出版のお願いをしてきました。
一次資料については竹内氏が多数お持ちだそうです。
以前P誌や戦マガに寄稿された文章に資料・写真の出典を明記されたそうですが編集の段階で削除されたそうです。

竹内氏への質問です 投稿者:タカダ  投稿日: 730()232923
日本戦車の設計に当たっていた技術者の年齢は何歳ぐらいだったのでしょうか。
私はすっかりおやじの年齢ですが、この年になっても、戦車にはいろんな工夫がされているのだなあと感心することが良くあります。

回答
個々の技術者の経歴は不明ですので日本の戦車の父 原 乙未生氏の経歴を紹介します。
 原 乙未生 元陸軍中将
1895年(明治28年)6月12日 福岡県遠賀郡岡垣町生まれ
 陸軍熊本幼年学校を経て
1915年(大正4年)5月25日 陸軍士官学校 27期卒
    同年    12月25日 陸軍砲兵少尉任官 任地 下関重砲兵第五連隊
 砲工学校高等科優等卒業後
1918年(大正7年)陸軍員外学生として東京帝国大学工学部機械科に派遣
1819年(大正8年)陸軍中尉に進級
1922年(大正11年)3月 東京帝国大学工学部機械科 卒業
1923年(大正12年)3月17日 陸軍技術部付 発令
1925年(大正14年) 技術本部車輌班の主任として試製第一号戦車の設計に携る
1927年(昭和2年)2月末 試製第一号戦車ほぼ完成

以下略

竹内昭氏への質問 投稿者:ハ号  投稿日: 730()221231
さて質問ですが
やはり「四式中戦車チト」についてご意見をお聞ききしたいです。
1:今後新資料が出てくる可能性。
2:「三菱重工の図面」の正体。
3:現在の資料で推測される上面部の構造(特に戦闘室のハッチ(?)
機関室の構造=三式と同様で良いのか)等、時間が許せばお願い致します。

回答
1:防衛図書館の資料はすべてが公開されているわけではありません。
また米軍から資料が返還された際、保存の不手際で紛失や破損したものも多数あるようです。
米軍のPBレポートによると米国公文書館(ナショナルアーカイブ)に四式を含む資料が多数保管されているようですが、資料が膨大にありすぎてどこに保管されているのか皆目見当がつかないようです。
戦車についての知識があり、お金と暇と英語に堪能な方がいましたら発掘お願いします(爆) 
2:三菱図面については栄森伝治氏から頂いたものらしいです。あの図面も最終図面ではなく、試作段階の図面かもしれません。
3:今回は時間が無くそこまで突っ込んだお話を聞くことが出来ませんでした。次回お会いした時に期待してください。

3式中戦車の装甲板 投稿者:チへ  投稿日: 730()212950
いぜんから疑問になっている3式中戦車の装甲は普通の鉄なのか?装甲鋼板だったのか?
ぜひ伺って来て下さい。

回答
司馬遼太郎氏のエッセイが元凶ですね(^_^;)
この問題は竹内氏とも話したのですが、普通鋼板とは考えられないとの事です。
同席した落馬童子氏の調査では当時三菱丸子工場には軍から配給された戦車用の資材が大量にあったそうです。
(当時三菱丸子工場社員の証言およびメモより)

日本戦車の塗装 投稿者:take2  投稿日: 730()211340
私の母が昔戦車を見たときの記憶によると、「真っ黒」だったそうです。昭和16年頃の京都の福知山(16師団)でのことですが、アーマーモデリング等の塗装記事は、南方向けということで、迷彩のみです。日本国内では、カーキ1色だったのでしょうか?

回答
記録写真を見ると昭和16年頃の車輌は日本国内でも迷彩を施された車輌ばかりです。
単色で塗装された車輌もあったかもしれませんが正確な事は不明です。
ちなみに」AM誌27号の帝国陸軍機甲部隊の塗装と識別標識で紹介されている戦争末期の兵器迷彩要領(案)では土草色(オリーブドラブ)、枯草色(カーキ)単色の塗装例もあります。

むーさんへ 投稿者:Taki  投稿日: 731()215625
ラバウルの水陸両用戦車と気球係留車(?)もお願いします。

回答
写真を鑑定してもらいました。
水陸両用戦車については初めて見るものだそうです。
ビッカース水陸両用戦車の影響を受けているのは確かだと言われていました。

竹内氏ガサ入れ計画 投稿者:隆引  投稿日: 8 1()004437
特にリクエストしたいのは九七式中戦車の車長ハッチ裏ディテールについてです。
また、
・昭和18630日軍需審議会の内容(ナト、チト、チリ等に関する議事)。
・ホニII断面図は氏の手による物のようです。謎の多い車両ですのでぜひ元ネタなどを。
・昭和18923日下丸子工場でのチリ車模型審査および設計計画研究会(後日もあり)について
・謎戦車チホの不採用の経緯
・ホニIII、ホロなど末期九七派生は改造品なのか新品車体なのか(ちょっと質問が違うかな)。
・ホニIIIの装甲厚(私は50ミリ派です)
他にも色々ありますが(T62についてとか)主にこのような点をお願いします。

回答
1:九七式中戦車の車長ハッチ裏ディテールについてお聞きしましたが、残念ながらご存じないそうです。
  この分野なら高荷義之氏や富岡義勝氏のほうが詳しいのではと仰っていました。
  
   手持ちの資料にディテールの不鮮明な写真があったので参考にして下さい。
2:防衛研究所図書館に「昭和17年9月〜18年9月 軍需審議会に関する綴」が所蔵されています。
  現在コピーを申請中ですので詳しいことは資料が届き次第お答えします。 
3:ホニII断面図のネタ元は旧軍資料で竹内氏が所蔵されているそうです
4:会見場所が竹内氏のご自宅でなかったので詳しいことはわかりませんでした。
5:チホの不採用については詳しいことは判りません。
 しかし
防研に昭和14年ごろのチハ車の後継車輌について審議された資料が存在しています。
  この資料によると用兵側は12t級のチハ車より軽い車輌を要求しています。
  その辺りが原因ではないでしょうか。
6:自走砲の場合は中古車輌からの改造でも新規製造扱いとなっているようです。
7:竹内氏もホニIIIの装甲厚は50mmではと仰っていました。

質問 投稿者:某連盟の会長  投稿日: 8 1()204922
・あの狭い戦車内で、車載機銃の弾倉を交換するのは結構苦労すると思うのですがどうでしょう?
・撃った後の(機銃と戦車砲の)薬莢は、やはり撃ったらすぐに捨てるのですか?
・九七式中戦車の57ミリ砲と三八式歩兵銃は、どちらが長いのですか?
・戦車兵の武器はどんなものでしたか?
・戦車砲の砲弾は、どのようなものでしたか?
・戦車内で無線は使用できますか?
・操縦する時、運転手の顔は外に出ているのか?
・少年戦車兵の受験科目を教えてください。
・食べ物の配給は、歩兵と一緒みたいなものですか?
・戦車兵は歩兵科の人がなるのですか?

回答
この質問に関しては竹内氏と直接関係ないので私(むー)がお答えします。
1:世界兵器図鑑GUN日本編によると20発入り箱型弾倉では弾倉の交換が不便で一部に不評だったが最後までこの形式は変えられなかったと記載されています。
2:車載機銃には薬莢受けが備え付けてあります。戦車砲弾についても同様に後で回収したと思いま。
3:九七式五十七粍戦車砲 砲身長930mm 三八式歩兵銃 全長1280mm
4:拳銃は官給の九四式拳銃や私物のブローニング等、車外戦闘用の小火器は三八式騎兵銃などを装備していました。
5:陸戦兵器総覧等をご参照ください。
6:初期の八九式には無線の無い車輌が多数ありましたが、戦争後期にはほとんどの車両に無線が装備されています。
7:運転席の調節で座席を高くして顔を出すことが出来ます。
8:高等小学校卒業程度で国語・数学・国史・理科です。
9:航空兵と違い特別の食料配給は無かったようです。
10:当初戦車兵は歩兵科の領分でしたが昭和16年機甲科が新設され、それまでの戦車兵に加えて騎兵科も合流しました。
  またそれ以前からその他の兵科からの転科もありました。

ARP  2001731 23:34
1.これは、多分他からも出ているとは思いますが以前掲示板で話題になった
 正体不明の戦車に対する専門家としてのご意見おばお願いいたしたいのですが。
 ・中国軍改造と思われる九七式中戦車ベースの自走砲
 ・ラバウルの水陸両用戦車
 ・潜水艦の上のカチ車
 などなど。
2.これも、以前掲示板で話題になりました五式戦車の砲塔の位置関係のこと
以上二点、宜しくお願いします。m(__)m
あっ、それと私も「日本の戦車」復刊希望していますので宜しくお伝えください。

回答
1:ラバウルの水陸両用戦車以外は聞くのを失念していました。次回に期待していてください。
2:こちらの不手際で図面を持って行くのを忘れていました。これも次回の課題とします。

日本戦車についての質問 YTMizuno@aol.com  200184 21:39
質問1:バイブルといわれる「日本の戦車」は再刊できないのでしょうか。
私は、これを持っていないのがとても残念です。
現在、日本戦車の模型を作っています。下手ですが、稀少アイテムを自分で写真等を見ながら改造したりコンバージョンキットを使って作成しています。現在作っているのは、二式砲戦車(スクラッチ)、三式砲戦車(MRモデル)、海軍短12cm自走砲(スクラッチ、一部鋼鉄の侍)、増加装甲九七式チハ(スクラッチ)を同時並行して作っています。工作は、9割以上済み、後は色を塗るばかりです(これが苦手)。
この後、作りたいのは試製九八式チホ、試製四式12cm自走砲ホトです。是非、これらの写真が見たいです。
質問2:タミヤ・ニュースVol.308号の、「これだけは作ろう298」の九七式火炎放射戦車は、何か写真等の資料が現存しているのですか。でも、田宮模型にはこのことについて質問していません。

回答
1:色々な話は出ているそうですが、進展はしていないそうです。
2:Museum Ordnannceに掲載されている車輌だと思いますが、この車両の素性に関する情報は何もありません。

ご意見、ご感想はこちらへ メール  または 掲示板 

本ホームページに掲載されている文章及び画像の無断転載はお断りします。

 むーのおもちゃ箱へ戻る

日本の戦車へ戻る

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!